ソクラテスかプラトンか、はたまた届木ウカ
唐突だが、私は月ノ美兎委員長が大好きだ。
いままで見たことのある「バーチャルYouTuber」の中でも、一人でしゃべり続けることが格段に上手い。それに加え、話すだけで面白いエピソードに事欠かない。「過去の切り売り」*1はラジオ系媒体ではありふれた手法であるが、委員長の語り口と相まって、何物にも代えがたいコンテンツとなっている。
また、漫画やアニメについての嗜好に同世代的な親近感を覚える(彼女は「16歳の女子高生」のはずなのに!)。委員長のMAD動画にやたらと懐かしいノリが多く、本人もまんざらでもなさそうなところが個人的にとても嬉しい*2。
そして、半ばアクシデント的に垣間見える素の女の子らしさに、ドキッとする。みとらじ第2回放送での私服お披露目と彼ピッピ“呼ばわり”は、<月ノ美兎>というキャラクターの極致であった。詩子お姉さんとのコラボも、シチュエーションを含め非常に面白い企画だった。一方で、放送終了間際の、始めたばかりの一人暮らしの寂しさを吐露した場面では、彼女が自分と地続きに生きてるように感じた。計算しつくされた<月ノ美兎>ではない月ノ美兎が時折現れてしまうライブ感が、彼女に対してガチ恋一歩手前の感情を持っている一番大きな理由である。
バーチャルYouTuberを特集した『ユリイカ』7月号を買ったのは、ひとえに委員長の漫画と文章が読みたかったからである。なお、巻頭の随筆(?)を読むまでこの雑誌が何の・どのような雑誌だったかを都合よく忘れていたことは秘密である。
4コマ漫画は期待以上の内容だった。また、届木ウカとの対談*3では、届木の強い思想性との対比で委員長のエンタメ志向が浮き彫りになっており、実に彼女らしいと思った。せっかくであれば委員長単独の文章も読みたかったが、彼女の本領は動画でこそ発揮されるであろうから今後の配信に期待したい。
さて、その「届木の強い思想性」である。
一読した限り、届木のエッセイは特集の白眉であった。<届木ウカ>が何者であり、どこを目指しているかが、たった4ページの中に極めて理知的に凝縮されている。
たとえば、外野の「現実を見ろ」といった嘲笑に対して、届木は「<主体としての体験>が欠落している」と指摘したうえで以下のように毅然と言い放つ。
だからこそ自分は「VRアバター=真の魂の交歓」であると表明せねばならない。外見や種族や生まれなどの神や両親から背負わされた咎を脱ぎ捨てて、自ら「自己」をデザインした身体をボディトラッキングやリップシンクによって体と完全同期した僕達は、生まれた時に他人から背負わされた肉の檻をまとって生きる人間よりも、魂としてのノイズが少なく純度の高い「本物(リアル)」に近いことになる。それこそ「イデアの自分」なのだから(略)。
届木ウカ “個人バーチャルYouTuberという「自身のイデア」”、『ユリイカ』平成30年7月号、62~63頁
届木の文章は「バーチャルYouTuber」論を超えて、存在論や現代社会の多様性問題までも射程に入れる。そもそも、同誌で何度も触れられているとおり、「バーチャルYouTuber」とは便宜的なカテゴリ、記号にすぎない。カテゴライズすることによって零れ落ちてしまうことがあまりにも多すぎる。届木のイデア論はその最たるものだと感じた。
様々な「バーチャルYouTuber」がYouTubeの枠を超えた活動を目指していると聞くが、届木の活躍についてはより一層注目していきたい。
最後にどうでもいいことだが、私の一番好きなバーチャルYouTuberはダークエルフのケリン。小学生のころに読んでいたコロコロコミックみたいにおもしろくて好き。