ひと月前の読書メモと注釈
再読の喜びは同じ本で何度も違う味が楽しめることにある。その意味で、奈須きのこ『空の境界』ほど再読に適した作品を私は知らない。
そもそも、あの本を一周目で「読んだ」と言えるほど理解できる人間がこの世にどれほどいるのだ。人物像も世界観も時系列も、ほとんどを意図的に隠匿した「俯瞰風景」を一読して、何がわかるというのだ。本作はまさに周回を前提としたものといえる。
また、奈須の晦渋な表現もそれに拍車をかける。当然のように出てくる衒学的な専門用語と、入れ乱れる独自用語の数々。それは知識の有無以上に「きのこ節」に対する慣れの問題として私に立ちはだかる。私はまずそれらを装飾と割り切ってページをめくる。慣れてくるとそれらの中にまぎれた装飾を装飾として意図的に排してページをめくる。最終的にはその用語が装飾としてそこにあることの意図に「気づかされる」*1。奈須自身がどこまで博識で、どこまでが奈須の意図なのかはわからない。しかし、読者である私は「博識」であることを、奈須の無意識の意図を読み取ることまでをも要求される。
前述のようなメタな読みとは別に、私は物語世界へと没入する。なんの留保もなく一人称が式へ変わり幹也に戻り、はては第三者へと視点が移動する。ここは前述の慣れが必要な部分であるが、そこを超えた先にあるのは自分が何者にも感情移入しないまま物語世界へと没入するという感覚である*2。
そのようなこともあり、私はこの世界の外縁を物語外で上手く思い描くことができない。もちろん、「殺人考察(後)」後の、幹也と式の「『未来福音』へと続くその後」を想像する余地は十分にありうる(本作のエンディングとは、まさにそういった可能性へ開かれるということである)。しかし、私が漠然と『空の境界』を思い描く際の時系列はそこではない。正直に言えば、どの章が該当するかを具体的に言うことができない。そうであるがゆえに、私には奈須が書いた原典を読み返すこと以外に本作の世界を堪能する術がないのだ*3。