架空の森

ろくなことなんて、書けるわけない。そんな日常。

虚構の生徒会

 生徒会というシステムは、責任の所在をあいまいにするためのクッションである。例えば生徒のあいさつや身だしなみ、そういった終局的な解決が不可能か著しく困難である事項こそが生徒会の仕事とされる。そして、解決できない場合の責任を負う者は事実上存在しえない。なぜなら、それは「生徒会の責任」であるからだ。

 「生徒会の責任」には二つの意味がある。一つは、それはあくまで生徒会という団体に帰属する責任であるということ。この点において、教職員が負うべき責任は限定的になる。生徒会という組織が職員会議の指揮監督下にあるという事実は、「生徒の自主性尊重・生徒会の自治」という政治的に正しい建前によって隠蔽される。

 もう一つは、生徒会の生徒が直接責任を負わないということ。先述した通り、「生徒会の責任」は生徒会という団体に帰属する。そして、仮に生徒会役員が責任を負うのだとしても、役員の生徒には責任の取りようがない。役員の任期は1年で普通再任はありえず、再任されることのメリットもほぼない。「責任を取って辞職」したところで、誰が困るわけでもない。

 自明なことに、生徒会そのものにはほとんど権限がない。あるとしてもそれは、職員会議から付与された限定的なもので、わずかばかりの強制力は、教職員の心証という不確かなものに裏付けられている。権限と責任を欠く自治組織は、果たして「自治組織」たりえるのか。結局のところ、生徒会の自治とはフィクションである。