架空の森

ろくなことなんて、書けるわけない。そんな日常。

架空じゃない帰り道

 茜色というのは、イメージしていたよりもだいぶ暗い色のことを指すらしい。陽が沈む前の夕映えではなく、陽が沈んで夜の帳が下りる直前の赤*1。勘違いしていたほうを何色と呼ぶかはわからないけれども、段々と茜色へと移り変わってゆくグラデーションは、掛け値なしに綺麗だった。

 そんな空を眺めながらひたすら西へ西へと歩いた帰り道。全曲シャッフルのウォークマンから流れてきた「夕映えプレゼント」。CDを買いこそすれ、表題曲の「GOIN'!!!」ばかりをヘビロテしていてほとんど聴かなかったこの曲が、疲れた心身によくしみた。視界が悪かったのは、西日が強かったからだと信じている。

THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS ANIMATION PROJECT 08 GOIN’!!!【通常盤】

THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS ANIMATION PROJECT 08 GOIN’!!!【通常盤】

 

 

 単純なメッセージほど「何を言ったか」よりも「誰が言ったか」が重要になる、と何かの折に高校の恩師が言っていた。というのも、単純なメッセージそのものには他人を説得するだけの力がないため、説得力は発言者自身に求めるしかないからだ。これは歌詞についても同じことが言えるだろう。もちろん、歌曲の解釈は詞と曲との組み合わせの上に成り立つものであるが、「耳が悪い」私には「最近の曲は伴奏が似たり寄ったり」なので、詞で判断するしかない場合が多い。そして、友人がJ-popを評して「大半が『I love you』か『I miss you』に要約される」と言っていたように*2、歌詞もまた同じようなことを繰り返しているだけのように感じられる。

 だから、「誰が歌っているのか」というのはとても大切だ。上述の「夕映えプレゼント」の歌詞は、それだけを読むとまっすぐにすぎる。多分私がPでなかったならば、そのまっすぐさに苦笑しかできなかったのではないかと思う。でも、CINDERELLA PROJECTが歌っているとなると、聞こえ方が全然違う。1クールが終了した『アイドルマスター シンデレラガールズ』を思い返して聴くと、西日が眩しくて「泣けちゃう」のだ。

 

 以前『THE IDOLM@STER MOVIE 輝きの向こう側へ!』で「M@STERPIECE」を聴いたときも同じようなことを思った。アニメから劇場版に至る「今日まで」があってこそ、最後のライブシーンはあらゆる意味で感動的なものになる*3。これらに限らず、アイマス曲はコンテンツの膨大な蓄積によって裏側から「説得力」を与えられている。そしてそれは、アイマスをもっと知っていく中で新たな発見と共に強化されていくのだ。

 見上げるたびに夕焼けの色が移ろうように、アイドルマスターというコンテンツもまた時が立つほどに少しずつ見えるものが変わってくる。P歴が1年にも満たない新米の私をここまでズブズブにハマらせたのは、そうした底のない魅力である。

*1:参照: 茜色 (あかねいろ) の色見本 | 日本の色名 - color-sample.com 

*2:これを言った際に友人が渾身のドヤ顔をしたため、忘れられずにいる

*3:もっとも、ムビマスは何回も見返すことで良さが分かる映画である。初見時のライブシーンはそれまでの展開との「断絶」に不満たらたらだった。