架空の森

ろくなことなんて、書けるわけない。そんな日常。

わかりやすいダブル・スチールのサイン

 一番好きな川原作品を聞かれると、『笑う大天使』シリーズ*1が真っ先に出てくる。コミックス版2巻までの本編とそれを踏まえての短編3作は、設定やストーリーなど何をとっても素晴らしい。というか、川原教授にドハマりした要因が『笑う大天使』なので、「この作品には教授の魅力が全て詰まっている」とさえ考えている。思い出補正が多分にかかっていることは自覚しつつ、でも最後の卒業式の写真で涙が抑えられなくなるたびに、やっぱりこれが教授の代表作なんじゃないかと思うのだ。

そんな『笑う大天使』より前に、早い話、最初に読んだ作品が『甲子園の空に笑え!』だった。だから、傑作集『ワタシの川原泉Ⅳ』の冒頭に収録されていたのは、すごく嬉しかった。Ⅲ巻冒頭が『銀のロマンティック…わはは』だったことも含め、編集部はいい仕事をなさる。ついでに、表紙袖のホームベースの絵も素晴らしいです。本当にありがとうございます。

 

 

 何気なく父の本棚にあったコミックス版を手に取ったのが全ての始まりで、野球漫画っぽいタイトルなのに野球漫画っぽくなく*2、少女マンガなのに少女マンガっぽくない*3、そんな不思議な雰囲気にのまれて一気に読んでしまった。

 序盤から遺憾なく発揮される教授の独特なセリフ回し、今まで見たことのない絵柄のメリハリ。そして――正直に言ってしまおう、こんな無茶苦茶なストーリーでうるっときてしまうなんて微塵も思っていなかった。それは酷い裏切りだった。あまりに酷い裏切りにあったので、『笑う大天使』1巻にも手を伸ばしてしまった。そして、熱心なファンが一人誕生してしまったのである。

 

 『甲子園の空に笑え!』終盤、広岡監督が決勝戦を前にして

 

心は

お坊様のよーに

澄み切っている

 

川原泉甲子園の空に笑え!」同『ワタシの川原泉Ⅳ』(白泉社、2015年)82頁

 

 

そう独白するところからの流れは、何度読み返しても鳥肌が立つ。それは予想もしなかった急展開や、もちろん恐怖に対するものではなく、ふっと夢の中に入り込んでしまったような感覚に対するものだと思う。作中で豆の木高校の夢は、北斗高校の高柳監督によって、試合を決める最後の一打によって、破られる。それでも私たち読者にとっては、その一打もまた「夢の甲子園」なのだ。そして物語は、こうした言葉で締めくくられる。

 

甲子園まで何マイル?

 

マイクロ・バスで行ったんだー

 

きゃっきゃきゃっきゃとみんなでさー

 

 

――ああ 楽しかったね…

 

同上93頁

 

 

この余韻は、まさしく幸せな夢から覚めた時の寂しさに似ている。もう一つ、上述した『笑う大天使』の最後の写真もまた、この幸せな寂しさに似ている。

 だから私は、川原泉が大好きだ。

 

*1:花とゆめコミックス版(全3巻)、白泉社文庫版(全2巻)。読み切り短編3作は傑作集にも収録されているが、本編を読んでから読むことを強くオススメする。傑作集について唯一不満があるとすれば、この短編3作がバラバラに収録されていることである。

*2:もっとも、何をもって「野球漫画」というかは正直よくわからない。ちなみに好きな野球漫画は『H2』(あだち充)。

*3:当時は「少女マンガ」というと、女友達に無理やり読まされた『僕は妹に恋をする』(青木琴美)の系統というイメージが強かった。「我々が『ワンピース』を読んでいる時に同年代の女子は『僕妹』を読んでいる」という事実は、非常に衝撃だった。