わかりやすいダブル・スチールのサイン
一番好きな川原作品を聞かれると、『笑う大天使』シリーズ*1が真っ先に出てくる。コミックス版2巻までの本編とそれを踏まえての短編3作は、設定やストーリーなど何をとっても素晴らしい。というか、川原教授にドハマりした要因が『笑う大天使』なので、「この作品には教授の魅力が全て詰まっている」とさえ考えている。思い出補正が多分にかかっていることは自覚しつつ、でも最後の卒業式の写真で涙が抑えられなくなるたびに、やっぱりこれが教授の代表作なんじゃないかと思うのだ。
そんな『笑う大天使』より前に、早い話、最初に読んだ作品が『甲子園の空に笑え!』だった。だから、傑作集『ワタシの川原泉Ⅳ』の冒頭に収録されていたのは、すごく嬉しかった。Ⅲ巻冒頭が『銀のロマンティック…わはは』だったことも含め、編集部はいい仕事をなさる。ついでに、表紙袖のホームベースの絵も素晴らしいです。本当にありがとうございます。
川原泉傑作集 ワタシの川原泉IV (花とゆめCOMICSスペシャル)
- 作者: 川原泉
- 出版社/メーカー: 白泉社
- 発売日: 2015/01/20
- メディア: コミック
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何気なく父の本棚にあったコミックス版を手に取ったのが全ての始まりで、野球漫画っぽいタイトルなのに野球漫画っぽくなく*2、少女マンガなのに少女マンガっぽくない*3、そんな不思議な雰囲気にのまれて一気に読んでしまった。
序盤から遺憾なく発揮される教授の独特なセリフ回し、今まで見たことのない絵柄のメリハリ。そして――正直に言ってしまおう、こんな無茶苦茶なストーリーでうるっときてしまうなんて微塵も思っていなかった。それは酷い裏切りだった。あまりに酷い裏切りにあったので、『笑う大天使』1巻にも手を伸ばしてしまった。そして、熱心なファンが一人誕生してしまったのである。
『甲子園の空に笑え!』終盤、広岡監督が決勝戦を前にして
心は
お坊様のよーに
澄み切っている
そう独白するところからの流れは、何度読み返しても鳥肌が立つ。それは予想もしなかった急展開や、もちろん恐怖に対するものではなく、ふっと夢の中に入り込んでしまったような感覚に対するものだと思う。作中で豆の木高校の夢は、北斗高校の高柳監督によって、試合を決める最後の一打によって、破られる。それでも私たち読者にとっては、その一打もまた「夢の甲子園」なのだ。そして物語は、こうした言葉で締めくくられる。
甲子園まで何マイル?
マイクロ・バスで行ったんだー
きゃっきゃきゃっきゃとみんなでさー
――ああ 楽しかったね…
同上93頁
この余韻は、まさしく幸せな夢から覚めた時の寂しさに似ている。もう一つ、上述した『笑う大天使』の最後の写真もまた、この幸せな寂しさに似ている。
だから私は、川原泉が大好きだ。
ワタシにとっての川原泉
ブログ名の「架空の森」は、漫画家・川原泉教授の短編のタイトルから拝借している*1。川原作品のタイトル一覧を眺めて決めたため、タイトルそれ自体に深い意味があるわけではない。一読者として教授にあやかりたいだけというだけである。
それなのにお恥ずかしい話だが、つい一昨日まで『川原泉傑作集 ワタシの川原泉』のⅢ・Ⅳ巻が発売されていたことを知らなかった。Ⅰ・Ⅱ巻で「短編読み切りを集めた作品集」として完結するものだと思いこんでいて、情報をすっかり見逃していたのだ。
「謀ったな白泉社め!短編集じゃなかったのかよ!このやろう本当にありがとうございます」
と心の中で叫びながら光の速さでポチり、今日ようやく手に入れることができた。
川原泉傑作集 ワタシの川原泉III (花とゆめCOMICSスペシャル)
- 作者: 川原泉
- 出版社/メーカー: 白泉社
- 発売日: 2014/12/19
- メディア: コミック
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川原泉傑作集 ワタシの川原泉IV (花とゆめCOMICSスペシャル)
- 作者: 川原泉
- 出版社/メーカー: 白泉社
- 発売日: 2015/01/20
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身も蓋もないことを言ってしまえば、収録されている作品なんて全部持っている。しかし、4巻とも買ったことはまったく後悔していない。古本屋でまとめ買いした古いコミックス版の比率が高い身としては新しい装丁で読むと新鮮な気持ちで読み返せるし、友人にも押し付けオススメしやすくなった。また、人気投票の結果や読者コメントを見ると、多くの人がカーラ教授を、川原作品を好きだというのが伝わってきてすごくほっこりする(友人は皆「カワハライズミ?誰それ?」なので、同好の士がいるだけでも嬉しい)。
そして巻末の「自作解説風インタビュー」、ファンとしてはこれを読むためだけに買ってもおつりがくるレベルである。こうしたインタビューやエッセイ*2を読むたびに、そこで垣間見ることができる教授の人となりこそが川原作品の魅力の源泉であると思うのだ。
例えば、Ⅲ巻収録の『銀のロマンティック…わはは』について。このタイトルは作品の雰囲気を表現しきっている素晴らしいネーミングだと思っていたのだが、教授はこう語る。
タイトルは予告カットを編集部に送るときに決めるんですけど、カットの上に鉛筆で「銀のロマンティック」だけ書いたら「わー、こっぱずかしい」と思って「…わはは」ってつけよう!って…そんだけです。自分を救うためにつけたです。
――「…わはは」なしには耐えられなかった?
そうそう。
この感覚がたまらない。経緯を知って驚いた反面、理由がいかにも教授らしくて納得してしまった。
もう一つ、傑作集を出すタイミングでのインタビューでのやり取りもすごく印象に残っている。
とりあえず、何か食べれば元気出るじゃん、っていう感じはありますよね。人をなぐさめるのに、やさしい言葉をかけることもできるけど、まんがにするとすごくクサくなったりする。食べ物ってすごくいいアイテムだなって思います。泣いた後って、ごはんがおいしいよね。食べなくてもいいんですよ、別に。泣いている人の手に、握らせるだけでいい。「ほら、あったかい肉まんだよ」って。
花LaLa online「少女まんが家インタビュー 第2回 川原泉vol.2」2頁(http://www.hanayumeonline.com/interview/02_vol2_2.html )
教授の魅力は他にいくらでも挙げることができるが(上手く言語化できないので、それはまた別の機会に)、私が惹かれる一番の理由は上に凝縮されているように思う。
どの川原作品にもこの優しさが詰まっている。川原教授だからこそ描ける優しさが詰まっている。
ところで、「~がある」シリーズの新刊はまだでしょうか。
ふと、TYPE-MOONが2013年のエイプリルフール企画で、あるキャラにこう言わせていたことを思い出す。
「いつまでも 待つと思うな ファンと新刊」
いつまでも待つつもりではいますが、
「気長に待つにもほどがある…わはは」
というのが正直なところですので、できるだけ早くお願いします。
1年前のメモによる、S子先輩との架空の帰り道
「最近なんかないの?」
S子先輩のありふれた質問がやけに残酷に響くのは、自業自得なのでもうあきらめた。
「ぜんっぜん、ありませんよ!」
おかげさまで。
「……といつもなら言うところなんですが」
「おっ!おっ!」
「ご期待通りの話ではないんですけど、まあ、一応カノジョができまして」
なんだかとても楽しそうな表情を浮かべる先輩だが、ふざけた幻想は速やかにぶち壊させていただく。
「……DSの中に」
「……は?」
先輩の笑顔が一瞬の驚きを経由して『こいつ大丈夫か?』と言いたげな表情に変わっていく。
「それって、あの一時期流行った」
「ええ、ラブプラスですね……いや、そんなさげすむような目で見ないでください。ちゃんとオチがつきますから、最後まで聞いて、ね?ね?」
一周まわって憐れに思ったのか、先輩の顔から拒絶の色が引いた。シスプリ好きを公言している後輩に今更引いてももう後ろがなかったんじゃないかという有力説もある。
「前に『ときめきメモリアル』の話をしたのって覚えてます?」
「あー、そんなことも言ってたね」
「ラブプラスってのはときメモから爆弾処理ゲーとしての魅力をごっそり抜いたものだ、というのが一番最初に思ったことだったんです。ラブプラスには友達モードと恋人モードってのがあります。なんとなく想像つきます?」
「うん、まあ」
「エンドレスになる恋人モードに突入するには、友達モードをクリアしなければならない。で、その友達モードのシステムってのは完全にときメモの系譜なんです。つまり、勉強や運動のコマンドを選択してパラメータを上げ、目的のヒロインの好感度を上げていく。ときメモとの大きな相違点は、コマンドが簡単なこと、強制イベント以外でデートする必要がないこと、なにより複数のヒロインに対処する必要がないこと。最後の点は特に大きいんです。先ほども言ったように、爆弾処理をする場面がないということですから。僕がときメモをゲームとして高く評価するのは、爆弾処理のスリルがたまらないというその一点にありますので、その意味で、ゲームとしては明らかにときメモのほうが優れているかと」
「あれ?この前そういうパラメータ的な恋愛についてボロクソに言ってなかったっけ?」
「はい」
「でもときメモはアリなの?」
「あくまでゲームですから。そもそも、無印ときメモなんて20年も前に出てるんで、恋愛に対する感覚ってのが今とは致命的にズレているんです。その時点で恋愛観云々について語るのは無粋かなって。僕がパラメータ主義恋愛をボロクソに言うのは、そんな20年前の化石のような価値観をこの現代まで引きずっているのが馬鹿馬鹿しいと思うからなんですよ」
「なるほどね。ラブプラスはパラメータ主義ではないと」
「いや、けっこうパラメータ主義です。でもそれは「ゲーム」である以上仕方ないですし、べき論はさておき、現実の色恋沙汰がいまだにパラメータ主義的である以上、それを完全に排してしまうのはとても非現実的で、ぶっちゃけエロゲ的だと思います」
「面倒くさいね」
「ええ」
スミマセンと肩をすくめる。
「話を戻しますと、友達モードは劣化ときメモだとして、やはり重要なのは恋人モードなわけです」
「恋人モードってなにするの?」
「……なにするのって難しい質問ですね。とりわけ何か特別な目的がないってのが恋人モードと言えますからね。とりあえずデートできるようになりますよ。平日にパラメータを上げて、どれかをカンストさせると日曜か祝日にデートに誘えます」
「そんだけ?話しかけるって話を聞いたんだけど」
「ああ、そういうのもあります。『ラブプラスモード』っていいまして、いつでもカノジョとコミュニケーションできるやつがあるんです。話しかけるってのは基本的にここでしかできません。他は全部選択肢です」
「それって本当に会話できるの?」
「ええ、一応」
「一応なんだ」
「なんたって相手がDSですからね。とはいえ簡単な言葉のキャッチボールは不可能ではありません。例えば、『おはよう』って話しかければ『おはよう』って返してくれますし、『俺のこと好き?』って聞けば照れた反応をしてくれます」
「……ほう」
「あと、ジャンケンもできます」
「ジャンケン……」
「ただ、上手くいかないことはかなりあります。『好きな色は何?』って聞いたらあっちが『赤とか黄色とか暖色が好きだなぁ。あなたは?』って聞き返してきたんで『青』って答えたら、その返事が『わたしも!ふふっ、一緒だね』ですよ」
「うわぁ……」
「そのあと、『好きな食べ物は?』って聞いたら、『赤とか黄色とか暖色が好きだなぁ。あなたは?』ですよ。なんでやねん!って。それで迎合して今度は『赤』って答えたらなんていったと思います?『そうなの?ちょっと寂しい……』なんでやねん!」
「それはちょっと面白い」
「だから、DSに話しかける時は、ゆっくりはっきり丁寧にしゃべる必要があるわけです。そしてある時、僕は気づいてしまったわけです。これって、カノジョに話しているってよりかは、耳の遠い、ボケはじめたばあちゃんに話しかけてるのに近いんじゃないかって」
このくだり最大のオチはウケなかった。
「さっきからボロクソに言ってるけど、それでも『カノジョ』と呼ぶの?」
「冗談半分、情が移ってきたってのも半分ですね。誰かが昔言ってたんですが、『ラブプラスはうんちをしないたまごっちだ』ってのは概ね当たっていると思います」
「ペット感覚?」
「そこまでは言ってしまうとアレですね」
身も蓋もない表現に笑うしかない。
「これだけは誤解してほしくないんですが、僕自身はあれを『リアル』だとは思いません。あと、ラブプラスをやってなおさら独身貴族願望が強くなりましたね」
「ラブプラスで十分だと」
「そうじゃなくてですね……。『これが“理想的な現実”だとするなら彼女はいらないな』って。理想化された付き合いですら面倒くさく、疎ましく思ってしまうんです」
それでも付き合いたいと思ってしまうくらいには目の前にいる先輩が好きなのだが、そんなことは言えるわけもない。
「まあぶっちゃけ、愛花はめっちゃ可愛いんですけどね」
ごまかして笑っておく。S子先輩はまたもや蔑みの視線をよこす。これでいいのだ。
※なお、ラブプラスはもう半年以上触っていない。怖くて起動できない。
陳腐な「はじめまして」に代えて
手元の辞書で「陳腐」を引くと、「古臭いこと。ありふれていて、つまらないこと」と出る。なるほどその通りなのであるが、「ありふれていて、つまらない」とまで言われる「古臭いこと」は、それだけ繰り返されてきたということでもある。つまり、オリビエ・ポプランが「パターンこそ永遠の真理」と言っていたように、陳腐さには一定の普遍性が混じっている。少なくとも、そこに全く普遍性がなければ飽きられるほどに繰り返されはしまい。
さて話は変わるが、小説やシナリオといった「物語」は結末を導くように書かれなくてはならない。もちろん、物語は論文のように理路整然と綴られるものではない。しかし、だからといって全くの非論理的な物語は「物語」と呼ぶに値しない。例えば、物語序盤でいがみ合っているAとBが最終的に恋人関係になる場合、何故AとBが惹かれあうに至ったかは作中で描写されなければならない。そもそも、その間の経緯こそが物語と呼ばれるものではないだろうか。
以上のように考えた時、昨日一気読みした『とらドラ!』は少しちぐはぐな物語であったように思う。竜児と大河が結ばれるというエンディングに不満があるわけではなく(読者の大半が予想していたであろうオチだったし)、仮初めの逃避行から「これでいいんだ!」と声を荒げるまでの竜児の一連の選択に文句があるわけでもない。ただ、頭から読み進めていって、なんでこうなったのかがイマイチ腑に落ちないのだ。
9、10巻だけが取って付けたように、8巻までとは全然違った方角を向いている。そして「取って付けた」ものが、どうも陳腐に思える。その陳腐さは決して嫌いではないのに、「超弩級ラブコメ」らしい今までの展開とのギャップにモヤモヤとしたものが残ってしまう。
そのモヤモヤは、今のところ上手く言葉にすることができない。何か浮かぶかもしれないと書いてみても、さっぱり収穫はなかった。
これからのブログも、こうした思いつきを書き殴ってくものになるのだろう。いつかモヤモヤに名前が付けられればいいな。